【神との対話 要約1】経験と言葉

2022年2月4日

この記事は神との対話の内容を元に私が感じたことが書かれています。
(要約というよりも感想に近いかもしれません)
かなり噛み砕かれた内容になっていますので、気になった方はぜひ本を読んでみてくださいね。



前提として、神は「私が神だ!天国に住んでおるぞ!」みたいなものではないです。


この本では存在のすべてとしています。

どこにでも在るし、言ってしまえば我々人類もみんな神の分身みたいです。

八百万的な発想ですね。


今回は1章のほんの少しだけですが

ちょっといいなって思った部分を抜粋して自分なりの解釈を添えます。



神は常に私たちに語りかけている

わたしはすべての者に、つねに語りかけている。

問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか?

神との対話1 p21


神(存在のすべて)は常に私たちに語りかけているそうです。

語りかけると言っても、言葉が使われることはほとんどないそうです。

なので本書では「語る」ではなく「コミュニケーション」と表現しています。


そしてコミュニケーションの方法は主に経験。そして経験から生まれる感情、思考と私は捉えています。


言葉とは

言葉は最も非効率的なコミュニケーションの手段。

最も曲解されやすく、誤解を生みやすいもので、単なる音にすぎない。

言葉で表現されるものは真実でも本物でもない。


経験とは

偉大なコミュニケーション手段。

私たちは物事を経験によって知ることができる。

経験できない事は言葉で “ある程度" 知ることができる。

(でもそれは本物ではないですよね)


私たちも普段から使っている「言葉」

私たちは毎日人と話したりツイートしたりしますよね。

そこで使われているのはほとんどの場合言葉です。このブログだって私の言葉が書かれています。

私が思考して、言葉に変換して、打ち込んでいます。


ちなみにこの本の要約って、めちゃくちゃ難しいんですよ。


あなたは今私が書いた上の言葉を読みましたね。

「この本の要約ってめちゃくちゃ難しいんだ。へー、そうなんだ。やらんとこ。」


こうしてあなたは神との対話を要約するという経験をせずとも、難しいらしいという情報をゲットしました。

本当かどうかは知らんけど、難しいならやめとくか。って思いますよね。


経験する機会を失った と言い換えることもできますね。


私たちは日頃から経験を避けている

これはどんなことにでも言えます。


例えば友達からこんな話を聞きます。

「あそこのお店、まずいらしいよ


それを聞いたあなたはおそらくそのお店には行かないでしょう。


でも待ってください。友達ですら「まずいらしいよ」って言ってますね。


もう本当かどうかまったくわからないですね。

味覚なんて人それぞれですし、実際はめちゃくちゃ美味しいお店なのに流行らせたくないから嘘をつかれてる可能性もあります。

言葉を鵜呑みにすると、めちゃくちゃ美味しいご飯を食べるという経験ができなくなりますね。

本当にまずい可能性もありますけどね。


もうひとつ。

私から確かな情報を提供します。

Diablo2って全然面白くないよ。


さて、本当でしょうか?こればっかりはやってみないとわかりませんねぇ。

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結論

要約というよりはほとんど私の考えを発信してるだけになりましたが、神もこう言っています。

さて、皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。

経験をないがしろにしているから、神を経験しても、それが神について教えられていたことと違うと、

たちまち経験を捨てて言葉のほうをとる。

神との対話1 p23


経験すれば、そこからさまざまな感情や思考が生まれます。

その感情や思考こそが神の声なのかもしれませんね。

なんでも経験してみましょうというお話でした。


今回のお話に関連して、思考と感情についての記事を書きました。

あわせてどうぞ。




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